パリのセーヌ河岸・・・その2
16世紀にセーヌ右岸にあるルーヴル宮が正式な王宮に定められ、以来、右岸が政治経済の中心地に、左岸がソルボンヌ大学を核に、学問と文化の中心地と性格づけられました。
1789年にフランス革命が勃発し、ルイ16世と妃マリー・アントワネットが処刑され、1804年にナポレオンが皇帝となるため戴冠式を行うなど、パリは激動の時代を迎えます。
19世紀に入っても、七月革命やパリ・コミューンが町を震撚させましたが、そうしたなか、ルイ・ナポレオン(ナポレオン3世)は、セーヌ県知事オスマンに命じて、パリの大改造を断行しました。
オスマンは17年間の在任中に、人口密集地を取り払ってリヴォリ通りやサン・ジェルマン大通りなどをつくり、上下水道を整備し、多数の公園を建設しました。